1月17日朝刊:「あれから25年」
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格闘塾入魂通信
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今日も
いいこと言って
いいことして
いいこと思って
いい人になろう
(三重県伊勢市「修養団」中山靖雄先生のお言葉)
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【善解感返】(ぜんかいかんへん)の金曜日!
善解感返とは、私の造語で、
相手の言葉を
全て善意で解釈し、
感謝で返すこと
これができると、人間関係は天国になる
目の前の出来事を全て自分の成長の種と解釈できる人になる!
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【 あれから25年 】
1995年1月17日は私にとってはとても大切な日です。
阪神淡路大震災が、起こった日です。
私が死ぬ時に振り返っても、これほどの日はなかったと思うような日です。
現在の塾生は、阪神淡路大震災後に生まれ、経験した者の義務として、
きちんと語り継いでいかなければいけない!と意を新たにしています。
今日も、授業の大半を費やし、震災の経験を淡々と語ります。
来年も、再来年も、私が生きている限り、語り継いでいきます。
25年前の今日は、大阪の淀川の近所に住んでいました。
当時、毎朝4時過ぎには起きて、淀川の堤防をマラソンをしていました。
その日も前日と同じように起きて、堤防に上がると・・・
ちょっとした異変に気づきました。
空がいやに明るいのです。
曇っていましたが、雲間から見えるその奥がいやに明るくて、
走る時間を間違えたのかなぁと、時計を見直したほどでした。
マラソンを終えて、5時過ぎに帰宅し、
シャワーを浴び、テレビのスイッチを入れました。
関西ローカルの朝の番組にチャンネルを合わせて、
食卓に座り、コーヒーを入れて、飲んでいたときでした。
テレビの中で、女性アナが何やら話していたとき、
部屋の外からゴーっという不気味な音が聞こえて来たと思ったら、
「キャー」とテレビから悲鳴が聞こえ、電気が切れました。
(その時の画像がありました。)
その途端、至近距離から全力で背中を押されているかのような揺れを感じました。
私は、結構大きな地震は経験しているのですが、
今回のヤツは、それを明らかに超えていました。
強烈な横揺れを感じたと同時に、
部屋の電気が消え、聞こえてくるのは、
食器が割れ、何かが倒れた音だけでした。
地震の後、大阪では、数分で電気も回復しました。
部屋を見回すと、蔵書2000冊は私の布団の上にばら撒かれていました。
パソコンは倒れ、タンスは移動していました。
食器棚の食器はほぼ全壊し、
床の上は靴をはかないと歩けない状態でした。
部屋の中だけを見ると、大変な地震とは思いましたが、
まさか神戸があんな風になっているとは・・・
すぐに電気が復活し、テレビを見ていると、
ヘリコプターからの報告があり、
「神戸で高速道路が倒壊した!」
「神戸のあちこちで火災が起きています」
とレポーターが叫んでいました。
幸いにも、大阪に住む友人たちには被害はなかったのですが、
神戸の友人には全く連絡がつきませんでした。
ニュースで惨状を見て、
「助けに行かないとあかん!」と大阪に住む友人4人で、
米と水だけを担げるだけ担ぎ、ハンマーとバールを持ち、
動きやすい体勢を整えて、神戸の友人の安否を確認しに出かけました。
尼崎、西宮、芦屋、灘区、中央区、兵庫区、長田区、須磨
あの光景は、目に焼きついて離れません。
墓石が転がり、木造家屋は傾き、潰れていました。
マンションも、途中の階が潰れていました。
一階が駐車場の二階建ての家は、平屋になっていました。
毛布をかぶり、大声を出して泣いているお年寄り、
火災を不安な眼差しで見つめるだけの人たち・・・
道路は大渋滞し、歩道は人の波、
町中に、どこから漏れたのかガス臭さが漂い、時折襲う余震に怯える人々・・・
須磨に行くまでに、二十名ほどの人たちを潰れた家から助け出すことが出来ました。
持参したバールが役立ちました。
また、それ以上の人たちの遺体を倒壊した家から出すことにも遭遇しました。
幸いに、友人たちはみな無事でした。
人の生死を数多く目の当たりにしたせいでしょう、
その後、人生観がガラリと変わってしまいました。
いつ死ぬかわからないなぁ・・・という気持ちが、心の底に根を張りました。
やりたいことは先延ばしにしなくなり、
あの世に持っていけないものを貯めることに価値を見出せなくなりました。
そして、2011年3月11日、あんなに大きな地震が東日本を襲い、原発事故まで引き起こすとは・・・
今、心配されているのは、
関東直下大震災
東海東南海地震
富士山噴火
東日本大震災の大きさはマグニチュード9。
このレベルの大きさは、1900年以降、全世界で6回だけというもの。
地震が起こった時、人工衛星から地球を見たら、地球が微妙に揺れていたというほどのもの。
あんな地震が近くで起こったなら、他の地震を誘発することは考えておかねばなりません。
地震学者の方の統一した見解として、「地下の活動が活発化する時期に突入した」ということ。
日頃から、防災対策はしておきましょう。
3日分くらいの食料は備蓄しておくべきです。
あと、アウトドアライフに精通すると、
被災したときに、比較的快適に過ごすことが可能になるかと思います。
そして、基本は、体力です。精神力です。
運動は続けて、いつでも動ける身体にしておきましょう。
阪神淡路大震災で、亡くなった方のほとんどは、建物や家具の倒壊に寄るそうです。
大きなたんす、書棚など倒れそうなものは、今日にも、処置をするべきです。
生存者は、大きなタンスやベッドの隣の隙間で生きていました。
東日本大震災で、亡くなった方のほとんどは、津波です。
海の近くにお住まいの方は、遠くに逃げるのではなく、上に逃げることです。
ひとつの階の高さは約3m
6mの津波が来る!ということなら、3階以上の建物に逃げこむこと
常に防災意識を忘れないこと・・・
「死ぬときは死ぬからね・・・」なんて言っていないで、
自分でやれることはやっておく。
これが一人前の大人としての基本です。
最後に、震災の年に、神戸の小学校の先生が作られた素晴らしい歌があります。
「しあわせ運べるように」という歌です。
♪地震にも負けない
強い心を持って
亡くなった方々の分も
毎日を大切に生きていこう♪
これを聴くと、自然と涙が流れてしまいます。
我々は、いつ何があっても、力強く前を向いて生きていかねばなりません。
「教訓を活かすこと」、
そして、「語り継いでいくこと」
これが、亡くなった方への最大の供養になると思います。
合掌・・・
当然、
熱くやる!
本気でやる!
圧倒的にやる!
『キミの未来は今日作られる』
信じるに足る自分を作り上げるには、
自分で決めたことを非妥協でやり抜くことだ
だから、今日という日を
熱く明るく元気に笑顔で、
人に温かく生き切ろう!
生き切るとはふたつ
目の前の人を一生懸命に喜ばす
目の前の事を一生懸命にやり切る
さぁ、いこう!
「ポン!」(肩を叩いた音)
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