1月17日朝刊:あれから31年
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格闘塾入魂通信
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今日も
いいこと言って
いいことして
いいこと思って
いい人になろう
(三重県伊勢市「修養団」中山靖雄先生のお言葉)
“Today, let’s say good things, do good things, think good things, and be a good person.”
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【 圧倒的努力 】の土曜日!
群を抜く方法は二つ
ひとつは、独自性
ひとつは、圧倒的努力
人とは違う独自性を極め
圧倒的努力を掛け算する
すると、簡単に、群を抜くことが出来る
群を抜いて手に入れた力を
世のため人のために使わせていただく
これが最強最善最高な生き方
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【 あれから31年 — 語り継ぐべき命の記憶】
1995年1月17日。この日は、私の人生において最も忘れられない、そして最も大切な日です。
阪神・淡路大震災が起こった日。
私がこの世を去る時に振り返っても、これほどの日はないと思うほどの衝撃でした。
今の塾生のみなさんは、震災後に生まれました。
神戸の街がかつて、一瞬にして崩壊したことさえ知らないかもしれません。
だからこそ、あの惨状を経験した者の義務として、私は生きている限りこの記憶を語り継いでいこうと、意を新たにしています。
◯異変の朝、そして不気味な音
31年前のあの日、私は大阪の淀川近くに住んでいました。
毎朝4時に起きて堤防をマラソンするのが日課でしたが、その日は何かが違いました。
曇り空の奥がいやに明るく、時間を間違えたかと思うほどの不気味な空色でした。
帰宅してシャワーを浴び、コーヒーを飲んでいた午前5時46分。
テレビから女性アナウンサーの声が流れていたその時、外から「ゴーっ」という地鳴りのような音が響き、
テレビから悲鳴が聞こえた瞬間に停電しました。
次の瞬間、背後から全力で突き飛ばされるような強烈な揺れに襲われました。
私は、結構大きな地震は経験しているのですが、
今回のヤツは、それを明らかに超えていました。
強烈な横揺れを感じたと同時に、
部屋の電気が消え、聞こえてくるのは、
食器が割れ、何かが倒れた音だけでした。
地震の後、大阪では、数分で電気も回復しました。
部屋を見回すと、蔵書2000冊は私の布団の上にばら撒かれていました。
パソコンは倒れ、タンスは移動していました。
食器棚の食器はほぼ全壊し、
床の上は靴をはかないと歩けない状態でした。
しかし、この時の私はまだ、隣の神戸が想像を絶する事態になっているとは夢にも思っていなかったのです。
◯神戸の惨状と、生死の境目
すぐに電気が復活し、テレビを見ていると、
ヘリコプターからの報告があり、
「神戸で高速道路が倒壊しました!」
「神戸のあちこちで火災が起きています」
とレポーターが叫んでいました。
電気が復旧し、テレビに映し出されたのは、倒壊した高速道路と各地で燃え上がる炎でした。
「助けに行かなければならない!」
大阪在住の友人4人に連絡を取り、担げるだけの米と水を購入し、
ハンマーとバール(鉄製の工具)を手に、神戸へと向かいました。
尼崎、西宮、芦屋、灘区、中央区、兵庫区、長田区、須磨
あの光景は、目に焼きついて離れません。
墓石が転がり、木造家屋は傾き、潰れていました。
マンションも、途中の階が潰れていました。
一階が駐車場の二階建ての家は、平屋になっていました。
毛布をかぶり、大声を出して泣いているお年寄り、
火災を不安な眼差しで見つめるだけの人たち・・・
道路は大渋滞し、歩道は人の波、
町中に、どこから漏れたのかガス臭さが漂い、時折襲う余震に怯える人々・・・
須磨に行くまでに、二十名ほどの人たちを潰れた家から助け出すことができました。
持参したバールが役立ちました。
また、それ以上の人たちのご遺体を倒壊した家からお出しすることにも遭遇しました。
幸いにも、友人たちはみな無事でした。
人の生死を数多く目の当たりにしたせいでしょう、
その後、人生観がガラリと変わってしまいました。
いつ死ぬかわからないなぁ・・・という気持ちが、心の底に根を張りました。
やりたいことは先延ばしにしなくなり、
あの世に持っていけないものを貯めることに価値を見出せなくなりました。
そして、2011年3月11日、あんなに大きな地震が東日本を襲い、原発事故まで引き起こすとは・・・
今、心配されているのは、
北海道沖大地震
首都直下大地震
南海トラフ地震
富士山噴火
東日本大震災の大きさはマグニチュード9。
このレベルの大きさは、1900年以降、全世界で6回だけというもの。
地震が起こった時、人工衛星から地球を見たら、地球が微妙に揺れていたというほどのもの。
あんな地震が近くで起こったなら、他の地震を誘発することは考えておかねばなりません。
地震学者の方の統一した見解として、「地下の活動が活発化する時期に突入した」ということ。
日頃から、防災対策はしておきましょう。
3日分くらいの食料は備蓄しておくべきです。
南海トラフ大地震の場合、助けてくれる人も被災している可能性が高いので、
1週間以上の備蓄は必要です。
あと、アウトドアライフに精通すると、
被災したときに、比較的快適に過ごすことが可能になるかと思います。
そして、基本は、体力です。精神力です。
運動は続けて、いつでも動ける身体にしておきましょう。
阪神淡路大震災で、亡くなった方のほとんどは、建物や家具の倒壊によるそうです。
大きなたんす、書棚など倒れそうなものは、今日にも、倒れないための処置をするべきです。
生存者は、大きなタンスやベッドの隣の隙間で生きていました。
東日本大震災で、亡くなった方のほとんどは、津波です。
海の近くにお住まいの方は、遠くに逃げるのではなく、上に逃げることです。
ひとつの階の高さは約3m
6mの津波が来る!ということなら、3階以上の建物に逃げこむこと
そして、常に防災意識を忘れないこと・・・
「死ぬときは死ぬからね・・・」なんて言っていないで、
自分でやれることはやっておく。
これが一人前の大人としての基本です。
◯亡くなった方々の分まで
震災の年に、神戸の小学校の先生が作られた『しあわせ運べるように』(https://x.gd/TQ6IT)という歌があります。
地震にも負けない 強い心を持って
亡くなった方々の分も
毎日を大切に生きていこう
私たちは、いつ何があっても力強く前を向いて生きていかなければなりません。
「教訓を活かすこと」、そして「語り継いでいくこと」。
それこそが、あの日失われた尊い命への、最大の供養になると信じています。
合掌。
当然、
熱くやる!
本気でやる!
圧倒的にやる!
『キミの未来は今日作られる』
Your Future Starts Today
ブザマな自分を認めたくなければ、
自分で自分にした約束は、言い訳せずに守ることだ。
自分に嘘をつかない生き方を貫くことだ
自分自身に美しくあれ!
それが自己肯定感を無限に高めてくれる
だから、今日という日を
熱く明るく元気に笑顔で、
人に温かく生き切ろう!
生き切るとはふたつ
目の前の人を一生懸命に喜ばす
目の前の事を一生懸命にやり切る
さぁ、いこう!
「ポン!」(肩を叩いた音)
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中村天風「誓詞」
今日一日
怒らず 恐れず 悲しまず
正直 親切 愉快に
力と 勇気と 信念とを持って
自己の人生に対する責務を果たし
恒に平和と愛とを失わざる
立派な人間として生きることを厳かに誓います
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放送は、2週間に一度ほどです。
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視聴者さんからの質問に答えたり、世の中のことに対して、好き放題話しています。
良かったら、聞いてみてください
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